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廃墟ちゃんねるブログ

廃墟ちゃんねるをまとめたブログ
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:2007:09/27/21:16  ++  P会館

昔ながらの温泉地、蔦で覆われた、古いマンションの様な
宿泊施設が川のほとりにあった。

IMG_4037.jpg

 

 

 


錆び付いた階段を上り、重い扉を開けると
薄暗い廊下から昭和の空気が流れ出る。
その空気を吸いながら、先ずは宿泊施設の見所の一つ、大浴場を目指す。
20畳程の広さで、浴槽は2つ。
温泉を観光の目玉にしている宿泊施設ならまずまずの広さだ。
静かに浴槽に浸かっていると、外から川のせせらぎが聞こえてくるのはなんとも情緒深い演出だ。
しかし、建物の真下に川があるため、身を乗り出しても川が見えないのは少々残念である。

各フロアーを見てみる。
目が慣れないと全く見えない程の暗闇がそこにあった。
懐中電灯で照らしながら恐る恐る進んでみると、ようやく部屋の全貌が見えてくる。
そこはバーになっていて、安いシャンデリアや脚の短い椅子がいくつかあるだけだった。
ゲームセンターや喫茶店、土産物屋などがあり、一般的な宿泊施設としては充分であろう。
その造りはどれも、昭和のかほりを放っていて、リアルレトロを肌で感じる事ができる。

客室に向かい廊下を歩くと、アルミの扉に擦りガラスがはめ込まれているドアがいくつもあった。
昔の団地や集合住宅の様な扉で、プライバシーは薄い。
錆に強いアルミ製のドアは、軽く油を注せば勢い良く開閉でき、今でも現役で使う事ができる程だ。
その扉を開けると、窓にへばり付いた蔦がなんとも印象的で、部屋の中をうっすら赤く染めていた。
そして30年以上も前のテレビが、部屋の片隅に状態良く残っている。
窓の外に目を向けてみると、広く温泉観光地を眺める事ができ、遠くに海が見える。

IMG_4035s-1.jpg

 




少しずつ暮らしが豊かになってきた高度経済成長期、人々は未来に希望を持っていた。
そして今、新しい物を次々に手に入れ、無い物を見つける方が難しい時代になってきた。
廃墟とは、止まる事のない時間の中に忘れてきた、人々の希望の欠片なのかもしれない。

 

 

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:2007:09/20/09:59  ++  B 富士

日本を代表する富士山は、静岡県や山梨県などから広範囲にわたって見る事ができるが、
絶景ポイントというのは数少ない。
ここは、そんな素晴らしい場所にあるホテル兼結婚式場廃墟で、
裾をおおきく広げた雄大な富士を眺めることができる。
廃墟の朽ち果てた窓から見える大きな富士は、感慨深いものがある。
人間の造り出したものは、長い歴史の内の一瞬で朽ち果て、
遥か昔からある富士は雄大で人々を魅了している。
自然が生み出す景色と、人が造り出した物の対照的な姿がとても印象的だ。

DSCF0757-1.jpg





この廃墟は、深い霧に包まれる事もよくある。
辺りに街灯一つなく、光という光は自然光のみで、霧の中に浮かぶ姿は、時に幻想的な景色も見せる。
風がとても強く吹き付ける建物の中は、壁や天井が中途半端に剥がれ、力なくぶら下がり、
重なり合って乾いた音を立てていた。
フロアーを見渡すとグランドピアノが目に入ってくる。
茶色い少し小振りなグランドピアノで、鍵盤は秩序をなくし、表面の統率がなくデコボコになっている。
何者かによって赤く塗られた鍵盤は、いかにも心霊スポットにありがちな安い演出だ。
その鍵盤を優しく叩いてみる。
「ポーン」というピアノらしい音が出たのは意外であるが、全部が全部音が出るわけではなかった。
音の出るところだけをリズムよく叩くと、何かの曲になり、それが霊を呼び寄せる。
そんな心霊話があってもおかしくない位の、魅力的なピアノだと思いクスクスと笑っていた。

3階と4階は客室や広いフロアになっている。
特に何も残ってはいないが、どの部屋からも富士山が凛々しく見える造りになっている。
アクセスも良く、周りがもう少し賑わっていたら、
きっと今尚現役のホテル兼結婚式場だったであろうと思わせる程の素晴らしさだ。
 1階の式場は、建物の全体から雨漏りした水が集っており、
ピチャピチャと滴った音が昔のホラー映画を思わせる。
崩れた天井は配管が丸出しになっており、床や柱や壁には、その水が滲みこみ黒く変色している。
結婚式場という面影は全くなく、人生の門出を祝う場所だった事が皮肉に感じる空間だった。

IMG_6928-1.jpg





富士を雄大に望み、結婚式という幸せを見続けてきた縁起の良いこの建物は、
現在それと対照的な存在になった。
廃墟好きからするとこのシチュエーションは魅力的だが、なんとも切ない話である。
日本には様々な廃墟が存在する。各廃墟で感じる事は違うが、その延長線上には、どの廃墟でも共通する「想い」がきっとあるはずだ。
それが何か解るまでは、しばらくこの趣味をやめられそうにない。


:2007:09/18/02:39  ++  ドライブイン K

_MG_2393-1.jpg 人は、お金を出してでも「便利」と「楽」を手に入れる。
現在、高速道路も日本の至る場所を通っていて、どこへ行くにも便利になった。
しかし、いまだに行くのに不便な観光地がある。
そこは半島の先端、観光客があまり来ない場所である。
高速道路も鉄道も、半島の末端まで通っていない場所に、比較的多く廃墟が存在している。

 昭和、高度経済成長期をむかえ、テレビや車、旅行などが生活に密着し始め、暮らしに潤いを与え、
人々の暮らしは少しずつ豊かになっていった。
それに比例し、観光地ではホテルや土産物屋などが乱立した。
ここも、そんな時代の波に乗り、建てられた一軒の土産物屋である。

 海風が強く吹くこの場所では、その風によってガラスが割れる。
割れた2階の窓からは、建物の内部が見え隠れしている。
看板は外れ、窓は割れ、一目見ただけで廃墟と呼べる状態になっていた。

1階の窓は板が打ち付けられており、店内はかなり暗くなっているが、
天井付近にある小窓はだけは、板が打ち付けられてはおらず、そこから光が差し込み
残されている土産物が物悲しさを強調していた。
何のキャラクターかわからない絵が描かれているマグカップや灰皿、地名さえ書き換えれば
どこでも売れるキーホルダーやのれん、私が学生時代によく見た懐かしい土産物がそこに並んでいる。

比較的しっかりとした大きな階段を上ると、団体さん向けの食堂になっている。
建物の端から端まで、椅子とテーブルが所狭しと並んでいるが、
これを埋め尽くすほど人が来たのだろうかと疑問を感じてしまった。

特に興味を引くものは見当たらず、1階のオーナーの部屋を覗いてみた。
見たこともない動物の死体が布団の上に横たわっているが、それよりも
足元の数枚の紙に目をひかれた。

_MG_2461.jpg






信販会社からの催告書や裁判所からの期日呼出状だ。
それによると、クレジット代金の入金交渉が進展しないために、裁判所に支払い命令の申し立てをしたという内容だった。
莫大な金額というわけではないが、経営末期には厳しい現実がここにのしかかってきたのだろう。
それにより、ここがオーナーから手放されたという結果には直結しないかもしれないが
廃れてしまった観光地には、この様な廃墟が多数存在するのも事実である。

昭和から平成になり、時代は大きく動いた。
人々の意識も変わり、新しいものを次々に求めていった。
新たな時代の波がきても、それに乗ることができなかった経営者達は一気に姿を消していった。
そして、負の遺産だけが今尚残っている。
廃墟とは、そんな時代が残していった、時の移り変わりを具現化したものなのかもしれない。

:2007:09/16/14:29  ++  きものH

20060625_0377.jpg 茨城県のそれほど栄えてるとはいえない街道沿いに、着物屋と住居が一体になった廃墟があった。
真っ赤に錆びたトタンの外壁や、割れた窓ガラスからはカーテンが風になびいた姿は、そこを通る人に一瞬の恐怖を与えた。
1階の店内は暗く、両目を塗られたダルマの赤々とした姿が印象的で、足元には反物や飾り物を入れていただろう空き箱が散乱している。
着物のポスターが貼られていなければ、ここが着物屋とはなかなか気付かないだろう。
 店と居住区はトビラ一枚で仕切られており、居間にはビデオテープや郵便物、薬や友達らと楽しく笑う写真などが足の踏み場さえないくらいに所狭しと無秩序に放置されている。
部屋の奥には台所。生活していたそのままの姿で、綺麗にすればそのまま生活できるだろうという空間だ。
目を引いたのは冷蔵庫だった。
この廃墟の内部を少し見たら、冷蔵庫の中が容易に想像できたが、それを確認したい衝動にかられた。
おそるおそる重いトビラを開いてみる。
ほんの少し開いただけで、中身を見なくてもどういう状況か詳しく説明できる位の臭い。
思い切って全開にし、中身を自分の目で確認する。
白いはずの保冷壁は黒く、食品や調味料など、昔は口にするものだったという事を全く想像させない物質になっている。
着物屋廃墟に冷蔵庫の臭いが充満し始めたので、危険を感じトビラをしめた。

_MG_1611.jpg 2階には応接間や子供部屋があり。二つ並んだ机にはファミコンのカセットや卒業アルバム、
集合写真や人形などが散乱していた。
これを見ると、私とほぼ同じ位の年齢層を感じ、ここの元住人に奇妙な親近感が湧いてしまい、
そして部屋を見回した時に涙ぐんできた。
のうのうと生きてきた私と同じ歳の人が、卒業アルバムや写真などもここに残していかなければいけない状況になった事を想像してしまった。
もちろん、そんな辛さなど計り知れないものだというのは解るが、なんともやりきれない想いになって、この廃墟を後にした。

ここにいつまでも残る住民の「念」が、私にそうさせたのかもしれない。

:2007:09/14/19:56  ++  藪ホテル

ホテルP
何百という廃墟に行った事があるが、こんな廃墟は初めてだった。

真夏の一番気温の高い時間帯、午後2時。
ゴミが多く捨てられた薄暗い道を進むと、急にひらけた場所に出た。
強い日差しと紫外線が、容赦なく体を焦がす。
ここは本当に廃墟だろうか?
周りを見渡しても建物の影すら見当たらない。
ただ、木々に隠れるように「フロント」と書かれた物置小屋程度の建物が、ここを廃墟と決定付けた。
しかし、そのフロント以外建物は見当たらない。
目の前には、藪しか存在しないのだ。
背の高さを軽く越えた藪の波。
いくら藪で有名な廃墟と言えども、これは想像をはるかに超えていた。

_MG_5423-1.jpg 本当にこの中に廃墟があるのだろうか?
全く建物の影すら見えない。
しかし、フロントがこの奥に廃墟があることを示してくれた以上、
必ずあると信じて、意を決し藪に挑んだ。
「藪こぎ」という簡単な言葉で表現できないほど道は険しく、そしてもう一つの敵が私を襲った。
蚊である。
ここぞとばかりに蚊が集ってきては、耳元でかん高い羽音をさせる。
藪を払っているのか蚊を払っているのかわからないくらい腕を振り回した。
真夏に長袖が重宝した瞬間である。

暴れる様に藪を突き進むと、ようやく建物が見えてきた。
1階建てで部屋の横には車を止めるスペースがある。
藪の猛威も駐車場までは及ばず、しばしここで休息をとることにした。
しかし、蚊の猛攻だけはやむ事がなかった。
虫除けスプレーなどは全く役に立たず、汗をかいた顔の周りにまとわりつく蚊を払うのがやっとになってきた。
これは止まることを許されないと判断し、この建物の撮影を開始した。
周りを良く見ると、同じ様な建物が点々と存在する。
昔ながらのモーテルといったところか、中途半端な和室や、洋風を履き違えた洋室がいつもながらのラブホテルの廃墟を演出していた。

「この程度か」

半ば諦めていた時、同行していた1人が「あそこに2階建てがあるぞ」と言ってきた。
藪の中で見てきた部屋は、どれも1階建てだったが、藪の最深部に人目を避ける様にそれはあった。
蚊の追跡はいまだに続いているが、その建物の中を覗いてみる。
暗さに目が慣れるまでしばしかかった。
藪によって、太陽の陽が入らなく薄暗い。
おまけに、昭和ラブホテルの定番とも言える壁紙が、その暗さに拍車をかける。
薄気味悪い壁紙を我慢して、風呂場や部屋の中を撮っていく。
蚊の攻撃は、部屋の中でもお構いなしだ。
シャッターに手をかけた瞬間に、その指に止まる蚊にイライラした。
2階に上がってみると、ラブホテルの代名詞ともいえる回転ベットが目に止まった。
赤々とした布団が、暗い中に浮かびあがる。
ラブホテル廃墟でも、そう簡単にお目にかかれない回転ベットに私は興味深々。
耳元で羽音を奏でる蚊に、気にも留めずそのベットを撮った。

_MG_5438.jpg 
 






藪を超えてきた甲斐があった。
回転しているところは当然お目にかかれないが、
現役当時、男女を乗せてグルグルと回転していた事を想像するのは心地よいものだった。
そして、そんな満足感を得ながら、帰りの藪に再度挑戦したのである。

 現在、現役として繁盛してるラブホテルのイメージはとても明るい。
ホテルの中で行なわれる行為は、昔ほど後ろめいたものではなく、比較的オープンな感じになっているのではないだろうか?しかし、時代をさかのぼれば、それは逆になっていく。「連れ込みホテル」と称されたいた時代があるほどで、ラブホテルは後ろめいたものという風潮があった。そのイメージからか、廃墟になった昭和のラブホテルは暗い演出が多い。この廃墟は、藪という最高のカモフラージュにて、本来の目的を達成できたのかもしれない。

私にとって、思い出深い「藪ホテル」である。